読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

引きこもり入門

どんな運命が愛を遠ざけたの

ボールペン寄付

バイト先でよくボールペンをなくす。

ポケットに入れたり、カーディガンの胸元にひっかけたり、なんだかんだしているが、本当によくなくす。こんなになくしていいのか、と思うほどになくす。
不安だ。

なにかの病気なのではないか。そんな不安が、胸によぎる。

わたしはボールペンをなくすたびに、レジの横にある事務カウンターからボールペンを拝借して仕事をしているわけだが、困ったことに、そのペンもよく見失う。
ここにあるペンは<○○店カウンター用>と表記があるので、もしかしたら、わたしが落とすたびに店の誰かが拾ってくれているのかもしれない。
が、事務カウンターのペン立てのなかのペンの量は、明らかにわたしが借りはじめたころよりも減っているように思える。

そろそろ気まずくなってきた。

レジで「サインをお願いします」というたびに、ボールペンが出なくて怪訝な顔をされる。
配送の伝票に「ご住所お願いします」というたび、ボールペンが出なくて怪訝な顔をされる。
「領収書のお宛名は?」というたびにボールペンが出なくて怪訝な顔をされる。

怪訝な顔しかされていない。

きっと、ポケットからボールペンがすぐに出る人は、仕事ができる人だ。


なんでこんなことを思い出したのかというと、部屋の掃除をしていたら、机の引き出しから大量のボールペンが出てきたからだ。
ダイソーで10本100円で売っている、お尻の黒い、あのキャップ式の安いボールペンだ。

これは今までなくしたぶんを、寄付するしかない。
まあ、寄付もなにも、なくしたのは完全に自分なんだけど。

ダブル


「これはないよなあ」

ひとつのベッドを前に、その人は笑っていた。

「ちゃんと予約画面、確認した?」
「あれ......ごめん、ちょっとフロントに聞きに行ってくる」
「いや、いいよ俺が電話するから」

まもなく予約内容が印刷された紙を手に、従業員の男性が部屋に現れた。彼は確かにこの部屋のタイプで予約を承っていることと、念のためダブルルームというのはダブルベッドがひとつあるスタイルの部屋であること、などを丁寧に一つ一つわたしたちに説明してくれた。あきらかにこちらが悪いのに、と思うと申し訳なかった。久しぶりの旅行に浮かれて確認できていなかったわたしが悪かっただけなのに。 閑散期で人が少なかったこともあり、ホテル側の厚意でツインベッドの部屋に変更してもらうことができた。わたしが従業員に浅いお辞儀をくりかえしている間も、彼はどこ吹く風といわんばかりにその状況を傍観するのみで、ときたま、はめ殺しの窓から駅のロータリーを眺めていた。新しい部屋のキーを受けとってドアから出たとき、ようやく目が合った。笑っている。

「ダブルとツイン間違えるとかさ。旅行慣れしてなさすぎだろ」

 ハネムーンじゃないんだから、という無邪気な声に傷ついた。
憎まれ口の叩き方といい、彼は去年会ったときとまるで変わっていなかった。社会人になって少しは物腰がやわらかくなっているかもしれないというわたしの推測は見事に外れた様子だった。

『いいんじゃない、この部屋でも』

従業員の言葉を遮って彼がそういうことを、心のどこかで期待していた自分にぞっとした。

久しぶりの宿泊に動転して、わたしは完全に化粧を落とすタイミングを見失った。しかし、そんな心配を余所に彼は「もう限界」といってとなりのベッドのシーツに突っ伏していた。

「昨日寝れなかったの?」
「いっつも寝れてないよ」

ホテルの大きなテレビをつける。有料チャンネルを見つけて、ああ、この人昔好きだったなあと思って「見なくていいの?」と聞いたら「バカ」と言ったきり、ほんとうに泥のように眠りに入ってしまった。ためしに「さっき食べたひつまぶし美味しかったね」と声をかけてみたが、返事はなかった。

わたしは彼に聞きたいことが沢山あったはずだった。部屋に着いたら言おう。何度もそう考えていた。でも今のこの現状は、わたしが想像していた場面とはなにもかも違う。結局、わたしは茫然自失のまま歯を磨いてシャワーを浴びて、ベッドに入った。なかなか寝つけなかった。ただ横から聞こえてくる息づかいに耳を澄ませていた。

 

朝、目が醒めるととなりのベッドは空っぽだった。シーツは丁寧に整えられている。一瞬嫌な予感がしたけども、昨日とかわらず置いてある旅行カバンに安心する。さすがに自分が哀れだった。
洗面所で顔を洗っているあいだに彼がクロネコヤマトの大きな段ボールを抱えて部屋に入ってきた。

「どうしたの、その段ボール」
「フロントでもらってきた。荷物ふたつともつめて送っちゃおう」
「わざわざ?」
「だって今日1日観光するんだよ、邪魔じゃん。駅のコインロッカーに預けてもいいけど、学校の人たちにお土産も買うんでしょ。東京までもってかえる自信ある?」

行きは新幹線の指定席を予約して来たけども、帰りは時間がわからないためなにも予約していなかった。無防備な旅だった。万が一、指定席が売り切れだった場合、東京まで確実に座れるかどうかわからない。手には大きな荷物がある。想像するだけで気が滅入った。

「でもさ、どっちの家に届けるの?」
「俺の部屋に届くようにすればいいんじゃない。どうせまた来るでしょ」

そのときもう少し冷静な判断をすれば、伝票を二つ貰うこともできた。二つ段ボールに分けて、お互いの家に直接届ける。どう考えてもそのほうが合理的だった。しかしわたしはというと「じゃあそれで」と彼に机のメモ帳にはさまっていたペンを渡していた。

『どうせまた来るでしょ』

その言葉の強さにわたしは圧倒されてしまっていた。舐められている、と思ったけど、同時にすこし嬉しかった。
彼が送り主の欄に「同上」と書ききったとき、ちいさな過ちにやっと気づいた。すべてがただの繰り返しであることにも。
結局のところ自分は、ただ甘く傷つきたがってるんだなと再認識した。ためらわずに人に話せる程度の傷がほしい。同情されたい。そんな欲望がじわりじわりと胸にひろがる。なんだかんだ、もてあそばれるのはラク。流されるのも、嫌いじゃない。もっともな顔して彼を責めるのは間違っている、わたしだって良い思いをしてるんだから。遠い意識がそういっている。旅行が終わって数日の間は、きっとこの人といたことを後悔する。でも数週間も経てば、また会いたくてたまらなくなる。たぶんこの人は何かの片手間に、わたしと会う頃合いを見計らっている。わたしの性格を一番よくわかっているのは今クロネコヤマトの伝票を持っているこの人だ。
現実が顔を覗かせるまで、明日やることが目の前に迫ってくるまで。そう言い聞かせてわたしはその人の文字を見る。ご丁寧にふたりぶんの名前が書かれていた。同じ住所だ。夢みたい。伝票に書かれた文字はけっこう綺麗で、わたしは彼のそういうソツのないところが好きだったんだと思い出した。
ちょっと前までは、いつかはこの人の名字になって、最初にわたしの新しい名前を書くのはこの人で、なんて人並みに夢見てたけど。

「眠いの?」

黙っているわたしを見て目の前の人はいった。

「チェックアウトまで時間あるから、もう少し寝てたら」
「うん」
「朝食の前に風呂入りたいんだけど、トイレつかう?」
「ううん。入っていいよ」

ユニットバスって不便だよなあと文句をいって、あなたはわたしに背を向けてセーターを脱ぎはじめた。あなたの服の脱ぎかたに、わたしは遥か遠い昔を思い起こす。以前、なんかそういう脱ぎ方って男の子っぽいよね、と洩らしたらあなたは、俺以外と付き合ったことないのになんでわかるの? と言って笑った。ベッドに横たわっていると、時間の感覚が曖昧になった。これは過去のことなのか、今のことなのか。今だったらいいのに。そう思ったら急に頭がぼんやりして、自然に両目から涙が吹きこぼれてきた。触れば、瞼が熱い。あなたは着替えのシャツを肩にかけて去っていく。そんな服、見たことないよ。でも、もう1年か。一度でいいから振り向いて、という呪文は効かない。わたしは話したかった、あなたといるとわたしはしんどくて消えたくなることを。それでもわたしはあなたのことが好きだということも一緒に。でもそんなことを話したところであなたはわたしを承認しなくちゃいけない義理もない。どっちみちわたしが身を引けばいい話。いや、もう何も考えたくない。今は眠ろう。無理やり羊を数えはじめる。ほぼ同じくして、壁の向こう側で昨日の垢を流す水音が聞こえた。